護国寺に初めて行った.早稲田の大隈重信もここに眠る.近所にあるのに,初めて中に入った.お向かいのおじいちゃんが19日に亡くなって護国寺で葬式だったのである.おじいちゃんが国語の先生だったということは何となく知っていた.自宅で静かに植木の手入れをしているおじいちゃんと,少し言葉を交わしたことがある程度であったが,娘がピアノを教えてもらっているおうちなので,やさしいおじいちゃんにお別れをしに行ってきた.

亡くなったおじちゃんは青木幹勇さんといい,戦前から国語教育の仕事をしていたそうだ.筑波大学付属小学校で長く先生をしていた.勲章もあった.挨拶で生前の言葉が紹介された−−「ふきあげた黒板にチョークで刻み込むように字を書くのだ」と.私も教師の端くれだが,私の黒板などは学生が「あれは書いてませんよね」と言うほどでノートはとれない.とても板書とは言えない.中学生の時「チョークを刻み込むように字を書く」先生が1人いた.とても上手であった.消すのがもったい程だった.授業後,黒板を拭くと刻み込まれたチョークがこびりついて,なかなか落ちないほどだった.強い圧力で書かれた楷書であった.声も大きく,授業は理路整然と進み,内容理解も容易であった.体格がよく顔も四角でメガネをかけていた.7:3に分けた髪は薄くなりかけていたが,たっぷり油をつけて光っていた.「教師像」のひとつだった.

インターネットで名前を検索するとたくさん出てくる.そこで教え子がこういう言葉を紹介していた−−「教師は、子どもに向けて語る言葉を、自分の耳で聞けるようになれば、ようやく一人前である」.この言葉には分かるような気になるところがある.授業をしているときに,語っている自分を対象化して客体として観察している状態に入ることがある.主体としての自分が肉体から遊離して,講義中の自分の言葉を聞いているのである.そういう時は,もちろん余裕のある時なので,その意味では「一人前」かも知れない.しかしその講義内容は自分では何度もやった内容である.それが余裕を生み,自己客体化を可能にしているに過ぎない面がある.洗練されているが,形式化も進み,やがて陳腐化したティーチングマシンになる危険もある.余裕が無いけれど,「これを理解して欲しいんだ,ここが大切なことなんだ,このことだけが重要なんだ」という思いに駆られてしゃべる講義が持つ雰囲気はないだろう.講義は演説ではないから,熱くなくてもいいが,自分の状態は学生に伝わる気がするのである.

もう少し早くからここに住んでいれば,なにか教えていただけたかも知れない.残念である.師走にあわただしく旅だった国語教師・青木さんの魂よ,やすらかに眠れ.