ディープインパクトが勝った.確かに強い. 最後の直線の抜き去りは圧倒的であった. 21年ぶりの無敗三冠馬ということだが, シンボリルドルフ の三冠達成はついこの間のできごとのように思う.もう21年もたってしまったのか・・・.私も老化しているわけである.

私は競馬を含めてギャンブルをやらない.株もインサイダー取引をしないようにするために手を出さない.馬券の買い方も知らない.しかしTVで競馬を観戦するのは好きである.馬券を買ったりしたら熱狂してしまうのではないかと思う.反面,馬券を買っている人々を見ると非常に不思議に見える.よく東京ドームに行くけれど,新聞を見てしゃがみこんで過ごしている集団がいる.いつまでこのままでいるのだろうかと思う.時間の使い方は人それぞれで詮索する気はないが・・・.地元に競艇場があって,そこに通う人々をよく見かける.カネの無い人が,なけなしのカネを使っているような気がする.競馬ローンでも開店したい気分になる.近所にハローワークがあるというロケーションもよくない.

カネがかかると,競馬にしろ競艇にしろ,まずデータベースを作成して予測モデルを作ってしまうだろうな,と想像する.マイニングである.そうなると観戦は一変しそうだ.まず穴を狙わない気がする.確実に勝てるレースで配当は低くても,一日十レースにつきあって,五百万円くらい買って,百万円くらい儲ける戦術をとりそうだ.そんな堅実な性格の自分がケチくさく思える.できれば蕩尽して破滅してみたい.

競馬は見ているだけで面白い.小学校の運動会でも競争が面白いのと同じである.かっこいいのである.とはいえ今年は競馬など見たことはなかった.ディープインパクトという名前を聞いたときも,ディープスロートの事件を連想したくらいである.

シンボリルドルフは史上最強の馬ではないかと言われていた.ディープインパクトは最強への挑戦ということになる.しかし,私はシンボリルドルフをTVで観ていて,あまり興奮しなかった.確かに強いし,エンジンが違う,格が違うという印象はある.しかしそれだけだ.

なぜかというと,前年に三冠馬が誕生しているからである.1983年と1984年は二年連続で三冠馬が誕生したのであった. ミスターシービー が大好きであった.1983年ごろ,たまたまTVで競馬を見ていて,ミスターシービーが活躍していた.最後方につけて,最後の直線で一気に抜き去る姿にしびれた.あんなに後ろにいて大丈夫なのだろうか,といつも心配していたが,最後がすごいのである,熱狂してしまう.そのうちDVDなど買ってしまいそうな気がする.競馬では逃げ切りはあまり見た事が無い.たぶんカツラギエースだったかと思うが,天皇賞(だったかな?)で最初から先頭で最後まで気持ちよくゴールを抜けたレースを一度だけ見た事がある.まったくつまらない.人生,レールの上を歩いちゃいかんのよ,と思えてくる.

ミスターシービーは翌年のシンボリルドルフの登場で少し影が薄くなったように思えた.しかし忘れられない.少し可哀想にも思える.プロ野球でいえば,長嶋というスターの登場で,ほぼすべての記録を塗り替えられた野村のような位置である・・・.しかし,ミスターシービーのおかげで世に出た人もいる.そういう言い方は正確ではなく実力があってのことだが,吉永みち子である.『気がつけば騎手の女房』(1984)は読んだことがないが,タイトルはうまく記憶しやすい.ミスターシービーの三冠達成のあと,吉永みち子は表舞台に登場し,現在のメディアでの活動へとつながっている.彼女になんのうらみもなく優秀な人だと思うけれど,ちょっとひっかかるのは,ダンナをきっかけにしているところである(すみません他意はありません).数年前に学生時代であったが,高橋たか子が『高橋和巳の思い出』(1977)を書いて,文壇に登場したのだが,それを連想したのであった.こちらは読んだけれど,あんまりじゃあないかという感じであった.この記憶があるせいである.鴎外も『半日』を書いて奥さんを徹底的に俗物化しているけれど,和巳の場合は死んでしまって反論の余地はないのである.おそらく高橋たか子は愛情をそそいで書いたというのだろうな,と思いつつ読んだ記憶がある.

人気ではミスターシービーだという気がしないでもない.史上最強の馬は?.私自身は シンザン ではないのかな,と思う.国産ではあるが国産でいいではないか.高価な輸入馬で評判となったラムタラの子はどうなっているのかね.史上最高の人気ということでは,ハイセイコーだろうが,この時期,私はまったく競馬に興味を持っていなかった.オグリキャップも記憶にない.そして,あのテンポイントも.

ときどき,記憶の空白がある.たとえば王貞治がホームランの世界記録を樹立・更新していく過程の記憶が無い.そのころプロ野球をまったく観ていないということであろう.王が756号を打ったのは,1977年である.学生であった.すると学生時代にプロ野球は観ていなかったということになる.あんなに小学生の頃から観ていたのに.小学生のとき,白黒TVであったが,王がバッキーのデッドボールをアタマに受けて倒れたのをよく覚えている.「王は死んだ」と思った.動かないまま担架で退場した.大乱闘となった.バッキーの投手生命も終わった.乱闘後の再開直後,長嶋がホームランを打った.こんな記憶があるのに.王の世界記録の記憶がない.しかし妙な記憶がある.学生時代,「銀座というところに行ってみたい」と思った.そこで地下鉄(たぶん丸の内線)に乗って銀座駅に降りてみた.ただそれだけである.銀座を見るために.夜だったのだが.思ったより関さんとしていた.ひょっとしたら日曜日かも知れない.地上に出ると.不二家の電光掲示板が目に入った.おそらく数寄屋橋の交差点だったのだろう.交番出口あたりだと思われる.そこに,王の世界記録樹立のニュースが出ていたように思う.関数で調べてみると1977年9月3日は土曜日なので,やはり休日ではあった.そういえば学生時代,部屋にTVがなかったのであった.

このせいか,銀座はさみしいところ,というイメージがある.新宿のように一晩中にぎやかではない.銀座の思い出(というほどでもないが)というと,やはり日劇である.なんとなくあの丸い建物が懐かしい.もちろん前を通ったことがあるというだけである.1981年閉鎖.朝日新聞も移ってしまった.高校生のころ「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んで,有楽町から歩いていくところの記述があって,そんなイメージもあった. 日劇はきっと楽しいところなんだろうな,と思うだけで入ったことはない.しかも田舎者である.懐かしいという感情も不思議なものである.日劇という建物は,それほど綺麗できらびやかという印象はない.前を歩いていると,妙なスターのカードなど売っている店があったように思う.「いつか入ってみたい」と思うだけで消えてしまったのが,懐かしいのかも知れない.

人気の理由は,自己投影であろうか.映画 「シービスケット」 は恐慌時代のヒーロー.先日 「シンデレラマン」 を観たが,あれも恐慌時代.そういえば 「俺たちに明日はない」 も恐慌時代だ.

「シンデレラマン」はもちろん感動的ではあったが,ラッセル・クロウの映画では 「proof of life」 が印象的である.まあ,かっこいい男という意味において,である.この中に最高のシーンがある.ラッセル・クロウがメグ・ライアンのダンナを救出に向かうシーンである.なんというか,いいシーンなのである.何もできないでいるメグ・ライアン.そのダンナを救出に向かうラッセル・クロウ.2人の間に抑制された感情の隆起がある.いい役者たちのいい演技である.こりゃあ,ダンナよりラッセル・クロウに惹かれてしまうわなあ,というところである.撮影後,実生活でメグ・ライアンは離婚したので,クロウとの噂もたった.映画と離婚の関係の有無は知らないが,なんとも気持ちのやり場が無いという感じがよく出ていた.救出場面のアクションシーンはすごいのだけれど,それは娯楽の楽しさであって,最高のシーンはあそこである.救出されたダンナと去っていくメグ・ライアン.ダンナは何も悪くなくいい人である.せつないねえ.