マスコミ各社が発表した小泉純一郎内閣(2001年)の発足直後の内閣支持率は「戦後最高」の「80%」を記録した.歴代内閣の記録は,田中角栄内閣(1972年)の発足直後の支持率「60%」であり,約20年後に非自民党政権として細川護煕内閣(1993年)が「70%」を記録するまで更新されなかった.小泉の高支持率はTV番組では「ほぼ全ての有権者が支持しているようなものだ」と驚嘆されていた.

しかしTVのコメンテーターと違って,私たちのような世論調査の専門家の間では支持率に関して冷静な見方がされていた.田中−細川−小泉の支持率が,60%→70%→80%と更新されていく過程は,回収率が80%→70%→60%と低下していく世論調査史の表と裏であった.支持率が表世間を一人歩きしていくとき,回収率は裏世間でひっそりと佇んでいた.

調査拒否率は年々増加する傾向で,私たち調査者を悩ませている大問題である.世論調査の拒否者の多くは「政治には興味ないから」「私には分からないから」と言う.彼らは時の内閣を積極的に「支持する」と表明しないし,最近では調査への回答すらも遠慮するのである.未回収票という有権者が内閣を支持するとは回答しないと仮定して,彼らを支持率算出の分母に加えると,実は,田中−細川−小泉の歴代内閣の支持率はいずれも48%程度で大差ない−−という主張ができる.このことをマスコミは指摘しなかった.小泉は下駄を履いた人気者だった.回収率という下駄を履いた.

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今井正俊(2002)は,内閣支持率と回収率の関係だけでなく,DK(分からない)率にも言及している.田中内閣当時の世論調査ではDKは3割程度あるものだった.ところが最近では1割である.DKを回収しないようになったのではないか,と私も思う.なんとか調査に協力をお願いしても,質問の途中で「もういやだ.5分で済むと言ったじゃないか.そんな難しい質問分からない」と拒否されることを多く経験する.回答者は,突如として回答者に選ばれるのである.日常生活で政治のことだけ考えているわけではない.内閣支持や政党支持くらいはいいとしても,電話口の向こうで早口のオペレータに「金融機関の経営が悪化し、金融システムが揺らぐことを回避するために、政府が金融機関に公的資金を再注入すべきだとの声があります。これについてどう考えますか」と質問されても,そんなことを深く考えていなかったという人がいてもおかしくない.DKが3割くらいあるのは,むしろ自然であり,それがまさに有権者全体の縮図である.消極的な存在を無視した世論になっていないか.

電話法なのに,面接法のような質問文を作っていないか,相手は耳からの音しかない,質問紙を読む視覚がないことを忘れていないか.回答しやすい・聞きやすい・分かりやすい言葉を一生懸命考えずに新聞記事の用語のまま調査してこなかったか,ついつい質問量を多くして回答者に負担をかけていないか−−それも回収率低下(途中拒否も含めて)の一因かもしれない.

上図はまさに図式的な数値例であるが,実際はどうであろうか.今井(2002)は朝日新聞社と読売新聞社を引用している.しかし田中と細川は面接法なのに,小泉は電話法である.比較のベースとして測定法が異なるという大きな欠点がある.特に朝日は小泉の時にRDD法にしており回収率の定義が,名簿抽出法とは異なることも問題である.

マスコミ各社は速報性を重視する立場から,面接法から電話法へ移行した.最も保守的かと思われたNHKでさえもが電話法に移ってしまった.戦後,一貫して面接法を保守し,同一の枠組みで定期的に全国世論調査を実施し得ている報道機関は,ただ時事通信社(中央調査社)のみである.調査の立場からは,時事通信社(中央調査社)の継続性と保守性は,高く,高く評価されるものである.その時事通信社の世論調査の結果を加えてみよう.

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時事通信の結果からも,今井(2002)と同じ解釈を導くことになる.田中と細川の「全体支持率」は大差ない.小泉は田中・細川よりわずかに高いだけである.小泉は回収率という下駄を履いたおかげで過大に人気者にさせられていた.
ちなみに,時事通信では,田中内閣発足直後の内閣支持率のDKが31%.小泉内閣発足直後のDKが21%で,ちょうど10ポイント低下している.回収率もそれに対応して80%から70%へと10ポイント低下しており,今井(2002)の指摘するように,低回収率という現象は,DKという回答者の占めていた部分の反映のように思われる.



今井正俊(2002)内閣支持率を押し上げた低回収率, よろん ,第89号.