この頃,学生時代のことを思い出す.ついこの間のようだが,ずいぶん昔のような気もする.
1970年代の学生だから30年も昔か.
アルバイトの1つを思い出した.
六本木のマンションにあった教材の通信教育の会社であった.社員は少なく,多くのアルバイトが作業をしていた.社員には,優秀で経験豊富な人材がいなくて,学生の目からみても会社の業務処理能力には疑問があった.実際,何度ことわっても教材が送付されるというクレームの毎日だった.当時はパソコンもなく,カーボン式のカードで住所を印刷していた.カードはケースで管理されていたが,この履歴の管理方法が貧困なのであった.
アルバイトの人種は多彩であった.学生のほか,カメラマン(写真家),劇団員(たち),コピーライター.失業牧師,フォークシンガー(芸能人!),老舗旅館の箱入り娘,OL崩れのフリーター,など滅茶苦茶であった.紹介の連鎖である.
非常に驚いたのは,どこからともなくアルバイトで(社員だったかな?)やってきた,Fという奇妙なにいちゃんがいたのだが,字が下手というか(自分のことは棚に上げて),ミミズのはったような小学生のような字を書くのである.そして「住所変更」を「じゅうしょへんびん」と読んでいるのである!.最初はワザと言っているのかと思った.しかし違うのだ.「ヘンコウでしょ?」といっても直らない.ニヤと微笑んで,また「ジュウショヘンビン」.「これ,じゅうしょへんびんです」と言いながらカードをぶら下げてオフィス内を歩いているのである.叫びだしたくなる.そして因みに,いつもジーパンに(スーツ用の)ワイシャツなんだが,ジーパンに黒いベルトをウエストできちんと締め上げて黒い革靴を履いている.しかもジーパンが少し短くて足首の様子がしっかり見えるファッション.別におしゃれでなくてもいいが,「こいつ大丈夫かあ」と思った.しかし周囲の人々を見ると何も言わない.みんな優しい人々なんだな,と思い自分を恥じたものの,なんで誰か従業員教育しないんだ,と思った.
社員も定着せず,安定せず,というわけで一体だれが責任者か分からなかった.業務にもっとも精通していたのは,劇団員たちであった.
仕事が終わると六本木で飲んでいた.私はあまり参加していなかった(まじめな学生だったのだ).仕事のできない社員が,仕事の実質を担っているアルバイトを使う,という構造は不幸である.ある時,社員として入った気のいいMさんが,六本木の飲み屋でいい気になって,「おい,オメエはよお」とKさんに向かって声をかけると,Kさんが「なんだとお.テメエにお前呼ばわりされる筋合いはねえ!」とMさんの胸ぐらを掴んですごんだ.まあ,ちょっと脅かしてやるつもりだっただけだが,Mさんは借りてきた猫のようにしゅんとなってしまった.気のいいおっさんなんだが,何とか社員の威厳を示さなくてはと,空回りの振る舞いだったのである.そういう下品なところがKさんの気に障ったのだ.実力もないのに虎の威を借りて,というような人間が嫌いなようであった.
あるとき,無管理状態でやってきた雑種集団アルバイトの整理(リストラ)がされそうになった.業務量とアルバイト採用量を誰も調整していないのだから,おかしくなるのは当り前なのだが.都合のいいアルバイトだけ残して,あとはくびにしようということであった.
とはいうものの,学生はいざしらず,この仕事がなくなっては困る人々もいたのだ.私はここで初めて,労働組合の形成から,困難な闘争の盛り上がりと,敗北.その後の収拾の全過程に立ち会う経験をし,人間の弱さと強さ,また狡猾と裏切り,立場と本音,誇りと屈辱,信頼と疑心,およそ極限的な状況で人間のみせる側面のほとんどを観たように思った.
共同性というものが如何にして形成されるのか.労組が形成されていく時の日々というものには,経験したことのない何かがあった.
会社との団交のやり方の具体的な方法も初めて経験した.団交での,Kさんのアジテーションに感動のあまり,流れる涙をぬぐうことさえできなかった.代表の腰巾着で極楽トンボのO氏が,「誠意をもって」話し合えば終わるんだろうと気軽に,また「本人主観的には」誠実な人間の意識で団交の場にやってきたのだが,そのうち,最後列のKさんが立ち上がった.「Oさん!.あなたはこの会社にずっと居られるから,そんなことが言えるんだ!」という一声から始まった.極楽トンボのO氏は予想だにしなかった逆襲に,目を広げてうろたえ,何一つ声をあげることができないまま,真っ青になって「ボクは,ボクは,ただ・・・」と後退しケツをまくって逃げて帰った.意識が彼の存在を規定するのではなく,存在の仕方が彼の意識を規定するのである.
闘争が長期化の様相を示した頃,1つの出来事があった.Kさんから「こういう状況に入ると組織の切り崩しが始まるからな.たとえば1人ずつ会社が接触してきて,Kさん,あなただけは会社に残してあげるよ,なんて言ってきたりするんだ.しかし,いいか.いつも組合員全員で守っていくんだぞ」ということを冗談風に笑いながら言っていた.そして,その通りのことが起きたのだ.
学生アルバイトのYはその場にいなかった,学生の中では古株であった.留年もしているようだった.Yにそんな話がきて,自分だけ残れるというオファーに乗ったのであった.「俺だけは違う.古株だしな」ということが頭をよぎったであろう.
そして,そのことはすぐに知られた.本人が誰かに得意げにしゃべったりしたから漏れたのであろう.Yはみんなから真正面から宣告された.「もう,お前は組合員ではないし,友達でもなんでもないからな」.Yはニタニタして「いや,違うんですよ,違うんですよ」なんて言っていたが,最後は「いいですよ,わかりました」.内心は震え上がっていた.絶望的な孤独に襲われ,自分の行動を後悔した.であろう.
私はその場にいなかったのだが,ただちに連絡が入って事情を知った.ほんの数日もたたないある深夜に,私のアパートがノックされた.あけるとYが立っていた.「いやあ,飲んでたらさあ,終電なくなっちゃってさあ,今夜だけ泊めてよお,鈴木くぅん」と見え透いたウソをニタニタしながら言っている.(こんな住宅街で飲んでた,だとお!?)
私は一瞬こまった.硬い表情のまま「分かってると思うけど」と言いかけると,「いや,分かってるんだ,分かってるんだ.でもさあ,終電がなくてさあ」となんだかんだと並べる.しょうがねえガキだと思ったが「じゃあ,泊めてあげるけど,俺は一緒にいたくないから,友達の部屋にこれから行くよ,かぎはあけたままでいいから,朝になったら帰ってくれ」と言って,歩いて一番近い友人のアパートに,夜中にとぼとぼ向かった.拒絶である.
Yが私のアパートに来たのは初めてである.かつて会話の中で「渋谷に住んでいて,あの辺でさあ」などという,偶然していた会話情報から,見事に私のアパートを探し当てたのである!.そして何より,Yが仲間全員から絶縁をされた,その現場にたまたま私だけがいなかったのである(大学に出ていたんでしょう).その惨めな姿を見られていないただ1人の私にすがる思いで,寄ってきたのである.願わくば,出勤の少ない私ならYの所業を未だ知らされていないのではないかと期待しつつ・・・.腹をくくれない,可哀想な男である.その後,Yは二度とみんなの前に現れなかった.彼のその後の人生はどのように展開したのであろうか.
ある組合委員長が,類似した状況に触れている.会社側が切り崩しにきた時,
(1)この際忠勤ぶりを示して自分だけはよくなろうという乞食根性
(2)本当に生活が苦しくて,自分や家族のことを考えて,脅迫に心ならずも動かされたもの
(3)組合幹部の運動方針に反感をもっていて,一石二鳥をねらった者
「第一の連中とだけは,今後とも激しい闘いをつづけなければならない」「第二,第三の人たちは,今後とも組合員全員で守ってやらなければならない」
人間にある「弱さ」や「異論」と,「卑怯」とは,まったくちがう扱いをされるべきものである.
その頃,私は,ある詩の一節を,よく口ずさんで歩いていた.
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