就職活動の方法

学生時代に自分が就職活動をしなかったのでエラそうな事を言える立場にはないのだが, もし今,私が学生ならどうするだろうか,あるいは自分の子供が就職するというのでアドバイスをするとしたら,何というだろうか,と思うことがある.

二十歳の頃は,人生とは何かとか,いかに生きるべきかとか,考えていた.今となっては,人生とは何であったかとか,いかに生きたかというように過去を観てしまう.あの頃は,自分は何者にもなれると信じられた.

ここで就職とは企業の勤め人になるという進路のことである.大学教員(研究者)になるとか,プロスポーツ選手になるとか,公務員になるとか,起業するとか,自営業を継ぐとか,冒険家として旅に出るとか,芸能人となって有名になるとか,作家になるとか,芸術家になるとか,任侠になるとか,軍人になるとか,弁護士になるとか,医者になるとか,政治家になるとか,山奥の仙人になるとか,そういう目標に進む学生のことではない.

学生時代には,そのような才能の必要なように思える職業に比べて,会社員なんぞになるのは,価値の低いことであり,就職活動なんてものは人身売買のようなもので,私のプライドが許さない,企業が俺を迎えに来い−−と内心では思っていたフシもある.上手におっさんをだまして(猫をかぶって)入社して,後は楽しく暮らしてやろうというほどの世間知もなかった.

まず,そういう価値観と対決する必要があった.エラそうなことを言いながら,結局は何もできないのだから素直に就職活動すればいいものを,そんな自信もなく,一方で,東大法学部→大蔵省→主計局→事務次官→天下り→安泰な老後−−という既定路線の典型に負け組の遠吠えをしているようなものだった.

価値観とどのように対決したかは省略して,以下に書くことは,もし就職活動をするのなら,たぶんこんなプロセスで進めるのではないかと思うことである.たぶん就職活動アドバイザーなんて人が世間には存在していて,その類の資料もできているのだろうが,私ならこうするという程度のものである.



たまたま映画「デブラ・ウィンガーを探して」(2002)を観た.40歳代の女優たちの,恋愛・結婚・育児・仕事−−のトーク集だが,こういうのも面白い.多くの女優は20歳前後でデビューし,40歳代で女優としては頂点に到達するが若さだけは衰える.育児や家庭との問題も複雑になるというわけである.メグ・ライアンも自分から「今が円熟してる」と述べている.本人は選択して今の仕事量にしているということだが,周囲は憐憫的批評なのだという.しかし彼女の場合はキュートが芸風で,そんな作品も多いし,「恋人たちの予感」のイメージが強いことは仕方ない.それに彼女の今の印象といえば,あのヘアスタイルからして,いまだに「キュート」である.本人は「自然な私よ」というくらいのことを言うであろうが.

肝心のデブラは「愛と青春の旅だち」(1982)のあと,「忽然とスクリーンから消えた」なんていうけど,「僕はラジオ」(2003)に至るまでそこそこ出ているではないか.引退というわけではないが端役ということか?.カネはあるんだから,のんびりした気にもなるでしょう.

1950年代後半に産まれた同世代の女優だから面白いのかもしれない.シャロン・ストーンとは1歳違いなんだなあ(それがどうしたの?).シャロンの場合は「氷の微笑」(basic instinct)以外の作品が好きである(作品は最高級のサスペンスでハラハラ).いい女だとは思うが顔は怖い.眼つきがきつい.「今までの私なら闘ってきたわ」というように,闘ってきたんでしょう.笑顔がいいのにねえ.シャロンは女優として,ジュリアン・ムーアやケイト・ブランシェットのことを「完璧な女優だ」という.確かに演技はすごいのだろうけれど残らない.演技が自然すぎるのか.観客は素人である.シャロンが「すごい女優だ」という部分が分からないので素人なんだな.でも,単なる映画鑑賞者でいいのである.シャロンは自分が売れたのが演技力だけではないと思っているのかも知れない.

やや上の世代だが,シャーロット・ランプリングも出ていた.物静かであった.「愛の嵐」(1973)を高校生の時に観たが,正直に言って分からなかった.当時のガールフレンドが早熟で「あれは,いいわよ」なんて言うので観たのである.それ以来,シャーロットの作品は観ていない.今なら「愛の嵐」も分かるが,当時はナチと愛という舞台装置を見抜けなかったし,同性愛も出てきてわけが分からなかったのである.ラブ・ストーリーは戦争や革命という装置を使うと,うまく際立つので,これは常套手段である.「ドクトル・ジバゴ」(1965)も戦争と革命がなければ,ただの医者不倫物語かも知れない.

ダイアン・キートンを「恋愛適齢期」(2003)で観たが,なんと母親役なんだなあ.元気だが,「ゴッド・ファーザー」(1974)や「ミスター・グッドバーを探して」(1977)と全然違う印象.ダイアン・レインはまだ30歳代だが「トスカーナの休日」(2003)での役どころは小娘ではないことは確か.いずれにしても,女優にとって年齢のとり方はいろいろ考えるのでしょう.肉体的には確かに衰退していくけれど,40歳代というのは,まだ別の頂点があるのだから,乗り越えていけると思いますがね.

上の世代ということでは,ジェーン・フォンダも出ていた.20歳年上だから今や68歳か!.見えないねえ,きれいだ.ベトナム反戦だからなあ.あの頃が30歳ということか.彼女は引退までに49本の作品に出て,8回だけしか経験できなかったというが,女優としての最高の瞬間というものがあるという(どうせ俺には経験できないエクスタシーだ).人生の何よりもすばらしいの,という何かである.その経験ができなくなることだけが,引退のときの未練だったという.でもターナーに「ぼくのために仕事をやめてくれ」と言われたら,やめるだろうねえ・・・..

人間の生理的頂点は20歳である.肉体的には完成するし,肉体的にもっとも美しい.女優も若さと可愛らしさで勝負できる.スポーツ選手の世界記録もこの前後である.また,才能も20歳で決着しているだろう.
社会人を始めるのは20歳以降で,40歳は社会的な頂点.仕事人としての専門性の円熟に到達する.また,現在の寿命からみて人生の中間点でもある.その意味で最高潮である.あとは下り坂で60歳で定年.ところが,いまや60歳から80歳以降までの20年間以上をどうするのかというのが問題である.

2007年問題だという.団塊世代が一斉に定年退職するのだ.しかし彼らは簡単には社会から退場しない.そんな物分りの良い世代ではない.戦争が終わり,いっせいに産まれ,激しい競争意識と連帯感.戦後を生きはじめる活力と理想.元気のない大人と元気一杯の若者,物分りの悪い子供が成長し,20歳になれば長髪で大学闘争.物分りの悪い大人になって,現在の企業のトップは団塊世代である.
私の周辺の団塊世代は,強い連帯感である.40歳過ぎても終結しない仲間の裁判闘争の後始末で家族の面倒を友人がみてやり,月に一回は集まっては酒を飲み(しかも,とびきり安い知人の新大久保の場末店と決まっている),妙なこだわり.必ず替え歌で盛り上がり,いつもカネがなくて,支払いの頃になると,急に寝たフリをして,なんで俺が先輩の分まで払うのか,と思いつつ,もってるやつが払えばいいという論理に私も勝てず.定職につかず,ペンキ屋だの,ビル掃除屋だの,インテリ風情からほど遠く,親戚からはヤクザ以下に見られても平気.俺たちは政治思想としては世界最高水準まで到達したのだと言ってはばからず.それになぜか,不思議なことにそんな男の女房は,どういうわけか,良家のお嬢様が多く,しかも美人で若造り.進学率の低い時代に大学まで娘をやって,こんな野獣にさらわれた親の心境やいかに.大学闘争がなければ,絶対にこんないい女を手に入れることはできなかったはずだ,と言っても「俺だって,お坊ちゃま育ちだ」.
こんな世代が,おめおめと退場するはずがないのである.



というわけで,いつまでたっても,就職活動の方法について書き始められない.