2002年8月6日,午前8時43分,林知己夫氏が逝去された.
この夏最高の猛暑となった今朝,私は珍しく8時前には会社にいた.
胸騒ぎがあったわけではない.
私は8月6日をRDD世論調査の「歴史的転換点」と自称していたが,
別の意味で,歴史的な日になってしまった.
林先生が今年2度目の入院をされたことは聞いていた.10月頃に退院の予定だと聞いてい
た.しかし2度目の入院なので悪い予感はあった.
最初の入院は2001年9月11日,米国の同時多発テロのあとであった.
日本時間の夜11時,TVニュースを見ていた林氏は,2機目が貿易センタービル
に激突した瞬間の映像を目の当たりにして「こんなことがあるんだろうか」と
興奮した.心臓に負担がかかり,病院に行ったらそのまま入院となった.
翌日,9月14日の甲子園大学で予定されていた行動計量学会の講演を欠席
したのはこのためであった.その話を世論調査協会の研究大会(11月16日)の
時,休み時間ににうかがったのであった.
講演に来ていただいたのは,2001年7月3日であった.
ちょうどRDDの社内勉強をしている頃であった.講演が終わって玄関でタクシー
を見送る前に,林先生に「実は,電話調査の本を書くのですが,どう思いますか」
と聞いてみた.「ぜひ書いてください,電話調査に道筋をつけてください」と
答えられた.お見せすることができなかった.
林先生には1996年,「データウエアハウスがビジネスを変える」という
原稿を書いてもらった.「最近,データマイニングという
言葉が流行ってますよ」というと,「何ですか,それは」と言われたので説明すると
「それは,数量化の精神と同じだ」という反応が戻ってきた.
この時の原稿「データ解析からデータサイエンスへ」が,最近著「データの科学」の
下敷きの一部になった,と言われた.最後の著書と位置づけることになりそうな「社会調査ハンドブック」の発行はついに間に合わなかった.
1996年の小選挙区比例代表選挙で,大きく選挙予測調査が影響を受けた話など,
渋谷の事務所で何時間も2人で,話をして飽きなかった.選挙のあとになると,
いつも選挙調査の結果について話をするのが楽しみであった.もう話をする相手がいなくなってしまった.
「データの科学」のあとがきを眺める.
人は自分で信じないものに,自分の情熱を傾けることはできない.
合掌.
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