受賞あいさつ(日本行動計量学会)

 言葉の本来の意味通りに「思いがけない」受賞で驚きました.この賞の存在 は知っていましたが,私は企業人であり,まったく念頭になかった出来事でし た.歴代の受賞者が実力者ぞろいなので,自分をかえりみると怯みましたが, 同時に「もっとがんばれ」という励ましだと解釈し,すなおに受けとり,推薦 して下さった諸先輩を思い浮かべて感謝いたしました.

 一般に受賞の言葉は「思いがけず」と謙遜するものが多い.しかし,ご本人の心中を察するに,きっと「受賞は当然」と思っているに違いないと,これまで思うことしばしばであった.むしろ「なぜ俺にノーベル賞がこないのだ」「なぜ俺に勲章がこないのだ」と本心では思っておられるのではないか,と勘ぐっていた.

 子供の頃「勲章なんか欲しくない」というフォークソングがあった.反体制的な歌なわけだが,賞状もらって喜んでいた小学生としては意外な価値観との出会いであった.そして.そういう姿勢をカッコいいと少し憧れた.一方で,やせ我慢してるんじゃねえのか,という疑念もあった.人間は,本当はそう思っていないのに,そのはずだと言い聞かせて行動することができる.

 少し前,吉田拓郎が堂本兄弟とTVに出ているのを見て,おいおい,お前は昔TVなんぞには出ねえぞ,という思想を表明していたんじゃないのか.いつから,そんなに嬉しそうにTVに出るようになっちまったんだ.レギュラー出演ならいいとか理由をつけるんじゃないだろうな.物分りの悪い若者だったのが,すっかり「いい大人」になったのか.あれはポーズ,芸風,若気の至りだったのか,と思った.なんだよ,だったら紅白歌合戦に出たい,と言ってみろよ.

 太宰治は芥川賞が欲しくて,欲しくて,なりふり構わず,欲しがった,懇請した,という.正直とはいえ,意外な感じのする事実である.

 2つの学会から,相前後して,優秀賞の受賞の知らせをもらい驚いた.本来なら心の準備があると思うが,そもそも学会賞に会社員は対象外だと思っていたという意外性である.日本品質管理学会の方は,企業人が対象の賞だと聞いて,なるほどと思った.

 池田先生から電話があったという伝言メモを見て,「ありゃあ,叱られるんだな」という思いを持った.学会賞の推薦投票を提出しなければならないのに,ほったらかしておいたのである.だから,池田先生から電話ということで,催促なんだなと思った.

 そこで,こちらから電話して,開口一番「すみません.学会賞のことですよね.まだ書いてないんです」と平身低頭お詫びをしたら.「そそ,学会賞で,鈴木さんに林知己夫賞ということになりまして」という.「・・・え?」と絶句したまま,了解するまで時間がかかった.

 「時々,受賞を辞退される方もおられるのですが,まずはご意思の確認を,一応させていただきたく・・・」ということで,そりゃあ,もう,ありがたく受賞させていただいた.勲章なんか欲しくないこともないのである.

 しかし,誰が推薦してくれたんだろう,あの人や,この人か.と思いをめぐらせ,しかし理事会で認められるかなあ,鈴木には受賞させるべきでない,という反対意見も出ると思うが・・・そうなると面白いな.などと想像をたくましくした.

 この2〜3年は会社員としての仕事に忙殺されており,勉強も研究もできて いないのですが,受賞を契機として,苦境を楽しく乗り越えようと思います.

 会社員というのは学者ではない.むかし山口瞳が「コピーライターは商品を売るんです.コピーを売るんじゃありません」という意味のことを言っていた.広告は商品を売るのが目的であって広告作品を売るのではない.「新入社員諸君」の中にも,似たような戒めがあったと思う.

 大学で学問を学んで会社に入ると,会社や先輩がバカに見えるものである.仕事もあほらしい「作業」が多いのです.崇高な研究なんて会社ではやっていません.しかし,会社員をバカにしちゃあいけません.そういう戒めが山口瞳には,いつでもあった.

 会社員は勉強や研究を18時以降,家に帰ってからやるのです.休日にやるのです.本や論文もそうやって書くのです.昼間は「お仕事」をしています.鴎外は「為事」と表記したが,会社は「仕事」です.会社員は残業をします.リストラで人員削減が激しいので,人一倍,一騎当千,なんだかんだ,と仕事します.夜中の2時にタクシーで帰ります.ビールも飲みたい.風呂から出ると,さすがに眠らないといかん.勉強も研究もできません.出版社のみなさま,原稿が入れられず,申し訳ございません・・・.

 学生諸君,時々「鈴木先生みたいに」と言って就活する人がいて居心地の悪さを感じることがある.誤解はしていないと思いますが,就職してからやる「勉強」は,本を読み,論文を読み,理論を学び,研究する――そういう勉強は,会社に売った時間ではなく,自分の時間でやるのです.やりたいから,やるのです.だから,どこの会社にいても,できるのです.それは環境の問題ではなく,意思の問題です.

 私は企業にいて,マーケティングや世論・選挙調査,組織評価などに計量的 方法を利用しています.企業には優秀な先輩が多数いますが,会社員のミッ ションは論文を書くことではなくて,シゴトをすることなので,その人々の存 在が認知されることは稀有です.そういう中で私だけ受賞することに申し訳な い気持ちも起きます.

 そうは言っても,就職に際して大学で学んだ内容に意味がないわけではない.データ解析についていえば,マーケティング戦略という仕事をやるためには,修士レベルが必要である.端的に専門職としてデータ解析者も必要であり,そのような採用枠さえあり得る.

 しかし,その場合でも手法を勉強することが企業でやる仕事ではないことは自明だ.企業は学校ではない.みんなが学者になってしまっては会社はやっていけない.会社では応用・実用する能力が求められる.論文を書くことは要請されない.

 そういう観点において,企業には優秀な先輩がいて,私もそこから多くを学んだ.先輩から学んだことは,いろいろな学者の講義やセミナーを聞く限り,学者よりも有益であることも多かった.そういう人が評価されず,私が受賞するのは申し訳ない.

 大企業の研究所では基礎研究がミッションで,論文や特許などが奨励ないし評価されることもあるのだろうが,普通はそうではない.論文や本を書いたりする時間があるなら,仕事したらどうか,という目で見られるものである.

 企業には,時々,あだ名で呼ばれている人がいる.たとえば「博士」とか「先生」とか「エンサイクロペディア」とかいうあだ名の人がいる.本人は満更でもない顔をしているのだが,実はバカにされているのである.ニュアンスとしては,ただのバカではない程度の愛称として楽しまれている.

 もし君が高い志をもって,企業に就職するのなら,アドバイスがある.その会社のことをよく知りなさい.その業界のこともよく知りなさい.できれば産業界全体についてよく知りなさい.そして,よく「仕事」をしなさい.会社にとって役に立つ人間にならなければいけません.どの部署に配属されても,そこでよく「仕事」しなさい.誰よりもデキル奴だとみんなが認めるほどに「仕事」しなさい.もちろん協調的態度を忘れてはいけません.自分勝手は組織の忌み嫌う属性です.そうして君が自主的に「勉強」する分には誰も文句を言いません.

 ただ,マーケティングや世論・選挙調査などは,学問の対象として「研究」 されるよりも先に,現場で「実践」されます.この分野を通じて,大学で研究 する学者と,現場で実践する会社員とは,よく対話する必要性を感じます.方 法の開発者と利用者の関係は,しばしば無理解・誤解・不適解です.目的が異 なるためですが,お互いに相手のことを「分かってねえなあ」と内心で思って いては構造的不幸です.

 広告会社にいたM野先生は,こんなことを言っていました.
「学会に行くと,私は実務家ですからあまり理論的側面は厳密ではありませんが,と言い訳し.会社に行くと,これは研究ですから多少は実用的ではない部分が残っていますが,と言い訳し・・・」.
そんなM野さんも,大学人になってしまいました.
自動車会社にいたA坂先生からは,こんな話を聞いたことがある.
「うちのトップにはコレスポンデンス分析くらいは理解してもらっている」.
本当ですか!.

 マーケティングを仕事の対象としているが,学問の対象として考えたことがない.研究成果を見ているけれど,仕事に役立つかどうかという観点でしか評価できない.商学部を最初に作ったのは早稲田大学だという話をむかし聞いたことがあるけれど本当だろうか.商売のやり方が学問になるとは・・・.世論調査も仕事であって学問の対象ではない.統計もそうだ.ことごとく,私が仕事でやることを,大学でやっている人々がいる.新聞記者もそうかも知れない.マスコミ学なんてカテゴリもあるのだろうか.

 商売の対象としてと,研究の対象としてと,それぞれの役割がある.社会調査士の資格が調査会社への就職に有利に働くなんて信じられない.そんな学生を採用するだろうか?.企業人が見ているのは,そんなところではない.個別の知識や専門性なんか,会社にきてから,数年で達成しなければいけない未知の分野がいくらでもある.そういうことに対応できる人材でなければいけない.学生時代の専門にだけすがっているようでは,彼の将来は心細い,という判断が企業側に働く.

 現役の政治記者時代に田栗先生にお願いして入会し,初めて参加してみた大 会は東京女子大で開催されました.森の中の花園のような場所で女子学生らに 囲まれて(詰め寄られ?),それが学会イメージとして初期化されて以来,行 動計量学会にはお世話になってきました.

 野党クラブの時だったか,官邸クラブの時だったか忘れたが,あの日,キャップに「学会というところに行ってきていいですか」と言って東京女子大学にでかけた.記者は現役がいい.自分のハイヤーがある.これは,運転手つき黒塗ハイヤーを持てない身分に戻ってみると,そのありがたさが分かる.吉祥寺あたりからクルマで森の中のような道を奥深く入ったような気がする.キャンパスにはきれいな花壇があった.

 この時,選挙予測のシンポがあり,朝日の今井さんなどがパネラーになっていたので,それが目的だった.講堂の後ろに座っていたが,選挙予測シンポのあと,もう1つ国際政治学の先生の講演もあった.ちょうど冷戦終結の頃だったと思う.学会のことをよく知らない私は,反応してさしあげるのも,サービスだろうと思って,挙手・質問もしてみた.女子学生が小走りにマイクなど持ってきてくれる.
「社会主義国家が崩壊したあと,民族主義的な側面が強調されてしまうのは何故か」
というような発言をしたかと思う.ソ連のアフガン侵攻なども少し前にあった.世界史は動いていた.

 懇親会があった.1Fの学生食堂のような場所だった.私はマスコミ各社の人々と話していた(大学の先生に知人はいなかった).あとで吉祥寺あたりに行って飲もうね,私のクルマがあるから一緒に乗って行こう,なんて話をしていた.

 そうしたら急に杉山先生が,ニコニコ寄ってこられて,
「あのう,この子達が,鈴木さんとお話をしたいっていうんですが,よろしいですか?.マスコミに就職したいんですって」
という.
「ええ?!,僕に就職のアドバイスなんかできませんよ」
「まあ,でも,ちょっとお話したいそうですから」
「はあ,そうですか・・・,じゃあ,ここでいいですか」
なんて,気乗りしない返事をしつつ,ちょっと会場の隅っこに行って椅子にかけた.数人の女子学生たちが,目の前にずらっと座って,こっちを見ている.眼がいっせいにこっちに向いている.
「うっ.なんじゃこりゃ」.
講堂でマイク持って走っていた学生さんたちのようだ.何を聞かれたのか,話の内容は忘れたが,とにかく,「俺に就職活動のアドバイスなんか聞いても無駄なこった」と言い張っていたと思う.それだけでは,申し訳ないので,「よく勉強して試験を受けて合格することがコツです」なんて,ばかなことを言ったかも知れない.女子大に初めて,学会に初めて,行った日である.

 さて,吉祥寺の飲み屋ですっかり遅くまで飲んだくれて,みんな終電で帰るといっていなくなった.もう終電のなくなったN×Kの方に,「もう帰りましょうか.クルマがあるから家まで送って行きますよ」と気持ちよく語りかけたが,ずいぶんと酔っ払っておられるようだ.悪酔いかも知れない.大切な先輩である.クルマまで行って,運転手さんに「この人を送っていくんで,よろしく」と言ったものの,八王子(くらい遠い地名だった気がする)だという.まあ,いいかと思ったのだが,それがすごかった.いつまでたっても到着しない.およそ東京とは思えない田園地帯まできてしまった.住宅が見えない.「しょんべんしたい」といわれ,一緒に外に出たけれど,たんぼで蛙の声がする.星空がきれい.人家の気配がない.どこにいるんだろう?.

 やっと着いた.住宅街が出現した.2時くらいだったかなあ・・・.肩に担いで「どこですか,うちは.同じような建物ばかり,え?.あっちですか.あ,ここですか?」.玄関に出てきた奥さんに,とにかく渡してさっさと帰ろうとした.よくできた奥さんで(だいたい起きて待っていてくれるなんて・・・),私から名刺を受け取ることは忘れなかった.運転手さんに謝っておいた.部長にチクられなかったとは思うが・・・.翌日,お礼の電話があった.

天国で「君が林知己夫賞かよ」と,苦笑しておられる林先生の顔が浮かびます.2003年の衆院選挙と選挙予測を先日おえました.新選挙制度で3回予測をやって獲得した知見について,林先生に話したいことがあったのに叶いません.この受賞では,天国からの永久視線も受け取ったのだと認識したいと思います.

 林先生,もう少し,お付き合いしていただきたかった・・・.