「よろん」第90号が来た.林知己夫追悼原稿が間に合っていた.パラパラ読んでみる.編集後記で熊田氏が林氏の言葉を思い出している.「あの質問では,建前しか分からないのではないでしょうか?」と問う.林,答えて曰く「建前でいいのですよ」と.

私は,この回答は不思議ではなく,そう言ったであろうな,と思う.

林知己夫には,念仏のように,繰り返し,繰り返し,発した言葉がいくつかある.何度も聞かされるので「またか」ということになる.これもその一つかも知れない.念仏ほどに抽象化されていないが,巨匠の言葉がしばしばそうであるように,逆説になっていたり,とても高度なことを言っているのに,とても簡単な言葉として出てくる――ということがある.「建前でいいのですよ」という言葉には,質問文作りがいい加減で良い,という意味はまったく含まれていない.調査が測定しているもの,測定したものが何であるか,何であったか,ということの究極的表現であるとも言える. 林知己夫は質問文作りの技術にも,面接法の技術にも,徹底的にこだわり,そこにこだわらない者に,「もっと深くこだわれ」と譲らなかった.回収率もどこまで達成できるかを体験・経験として知っていた.
この非回収(調査不能)の問題を昔から現在まで,よく研究してきたのは,やはり愛宕山であろう.愛宕山の歴史も変わり,下山した後,調査不能の研究はどうなるであろうか.

非回収誤差eは無作為抽出した大きさnの計画標本に対して調査した結果,回収できなかった標本が存在することによる誤差である.計画標本全体の標本比率をpとすると,回収標本比率p1と非回収誤差eとの関係は,

p = p1 + e

である.非回収誤差eは,回収率rと非回収標本比率p2の関数であり,

e = ( 1 - r )(p2 - p1 )

従って,

p = p1 + ( 1 - r )(p2 - p1)

回収率0%の場合を例外(調査の失敗)として無視すると,回収率100%なら非回収誤差は0である.回収標本比率と非回収標本比率が等しいなら非回収誤差は0である.そしてこの両極端を実際は期待できないものの,そうあって欲しいことを調査者は願う. 回収率が100%より低下する度合いに応じて,また非回収標本比率が回収標本比率と異なる度合いに応じて,非回収誤差が深刻化する.

いま内閣支持を調査するために,全国の有権者から大きさ500の計画標本を無作為抽出して調査した結果,回収率80%で大きさ400の回収標本を得た.回収標本の内閣支持率は50%であったとしよう,95%信頼区間は50%±5%なので,45%〜55%の範囲に非回収誤差が収まっていることを願いたい.

この願いを砕く最も厳しい状況は,非回収者の内閣支持が0%の時と100%の時である.願いが完全にかなうのは非回収者の内閣支持率が50%とまったく同じ時である.現実には,両極端に遭遇することは少なく,その間のどこかに調査者は置かれているであろう.

具体的には,回収標本比率p1が50%だから「支持ほぼ半数」と解釈したことが間違いだという危険を調査者は恐れる.つまり全体支持率pが,実は信頼区間の下限よりも小さい,つまり44%以下で「支持は半数に達せず」である場合と,逆に56%以上で「過半数が支持」と解釈すべき"実態"を「支持ほぼ半数」とミスリードしていないかという疑心にとらわれるのである.

回収率60%と80%の時,非回収標本比率p2の大きさが変わると,全体比率pがどの程度になるのかを図表で示す.

非回収


回収率80%の場合,非回収群の内閣支持が25%から75%の範囲であれば全体支持率は,標本比率の95%信頼区間である45%〜55%の範囲にあって,「支持ほぼ半数」という解釈が許される.非回収群の支持率が20%以下や,80%以上の時には,解釈を間違えることになる.回収率が60%に低下していると,「支持ほぼ半数」という解釈が許される範囲は狭くなり,非回収群の内閣支持は40%〜60%の範囲が要請される.

標本調査の際,「何人くらい対象にすればいいのか,回収率はどれくらいならいいのか」という質問が出る.「まあ,最低500人くらいは必要でしょう.回収率80%あれば立派ですね」という回答がある.この回答は,誤差を±5%程度としたうえで,非回収群が極端に異質(回収群と30%以上も異なる!)ではないような調査課題であることを根拠としていることになる.

p2は,現実には未知のままである.だから心配である.p2の状況を調べて少しでも安心したい.愛宕山では,p2についてよく研究してきたと思う.このような研究をする余裕はなかなか,無いのである.