12月24日,奥野忠一先生が逝去された.81歳であった.私は晩年の奥野先生しか知らない.農水省,東大の時代ではなく,理科大の時であった.交わりは日本科学技術連盟の多変量解析研究会であったと思われる.なぜ私はこの研究会には長く居ついたのであろうか.奥野先生の伝統のせいかと思われる.ここでは実務家,実際に本物のデータを現場で解析し,問題を解決しようと格闘する者を,あたたかく迎える雰囲気があった.理論を知らないビジネスマンとしてバカにする雰囲気がなかった.これは奥野先生が作った伝統だと思われる.私にはアカデミズムの統計学の師はいないが,どことなく流儀らしきスタイルがあるとすれば,それは奥野先生とその周辺の諸先生の系譜の一部かも知れない,

研究会には,文字どおり,できる限り出席された.座って聞いていた.そして時々眠っていた.しかし質問もした.よく講演の途中で中座された.なぜか私はそういう場面によく遭遇して,手をとっていた.ほとんど眼は見えておられないと思われた.先生に不躾にもそう聞いたこともある.「でもね.ぼくはこれでも毎日,こうして原稿を今でも少しずつ書いているんだよ」と言って,顔を原稿用紙の間近にくっつくける仕草をした.「何を書いているんですか?」「これまで会った人たちのことだよ」と言われた.読んでみたいと思った.多くの統計学者が出てくるであろう,ラオも出てくるだろう.優れた弟子たちも出てくるだろう.

いつだったか,日本科学技術連盟で私が講義した時,先生もおられて,講義のあとで「君,よく勉強してるね.とてもよく分かったよ」と言われた.お世辞としてもうれしかった.パワーポイントを使って説明したので,「しまったな」と思った.「ここはこうで,そこがこうなって」などと講義していたかも知れない,耳だけで講義を聞いていた先生のことは考えていなかったかも知れないのに.いろいろな講演会で,いつでも,先生が眠る講演は決まっていた,つまらない講演の時である,それはすぐに分かった.私もそう感じたからである.私の大学の講義でも,2〜3人の学生が寝ている.

『多変量解析法』(日本科学技術連盟)はバイブルとも言われた書物である.初めて読んだ頃は分からないことだらけだった.この本の著者として名前を知ったのが最初の出会いである.その後,本当に交わりがあるとは,その頃はとうてい想像もできなかった.



ことしは,統計学の三人の巨匠が逝った.林知己夫,森口繁一,そして奥野忠一の3巨匠.順番とはいえ,心細くなる.いまの私の年齢を振り返ると,情けなくなるばかりである.