1945年(昭和20年)8月15日,日本は連合軍に降伏(ポツダム宣言受諾)し第二次世界大戦の敗戦国となった.8月30日に連合軍最高司令官マッカーサー元帥(1880-1964)が来日.GHQ(連合国最高司令官総司令部:General Headquarters)による占領下の日本民主化計画が実行に移された. 序文 これは本委員会が1948年(昭和23年)8月におこなった日本人の読み書き能力調査に関する 全般をまとめたものである. ≪中略≫ 1950年10月30日 読み書き能力調査委員会 委員長 務台理作 本書の編集出版委員(五十音順) 石黒 修(国立教育研究所) 柴田 武(国立国語研究所) 島津一夫(国立教育研究所) 野元菊雄(CI&E) 林知己夫(統計数理研究所) これに続いてペルゼル(John C. Pelzel)のメッセージが掲載されている.これが実にローマ字で書かれているのである!.以下に,英語のみそのまま残して,ローマ字を漢字かな混じり文に翻訳(?)して示す. MESSAGE Literacy調査総合報告会を前にして懐かしい日本を去らなければならなかっ たことを私は何より残念に思います.いま私の目には過去一年半にわたってこ の意義深い計画に参加し,それぞれの専門の分野において輝かしい業績をあげ た方々,また或いは直接それに加わらなくとも,その目的達成のために非常な 同情と関心を寄せ,ことごとに激励と支援を惜しまなかった皆様の姿がいちい ち浮かんでまいります. この調査がその目的においても,規模,方法においても,まったく画期的な ものであったということが今にして大きな確信をもって申すことができます. 昨年のはじめ,この計画が立てられたとき,私は到底今日のこの大きな成果を 夢見ることはできませんでした.ひとえに皆様の献身的な努力の賜物であった と深く感謝いたします.そしてこの調査の結果が今後,内外の各種調査に寄与 すること大であり,また日本が直面しているさまざまな問題に対して,ある示 唆を与えるものであることを信じます. 科学的な調査にあっては私どもは絶えず十分な反省をもってその方法の妥当 性を検討いたさねばなりませんが,また同時に,ひとたびしかるべき操作を経 て,ある結果を得たならば,私どもはそこに示された厳粛な事実を率直に,歪 めることなく認める勇気と自信がなくてはなりません. この調査にあたって私どもは緊密な協力による研究というものが,いかに大 きな成果をもたらすかということを教えられました.私個人はまったくささや かな努力しかいたしませんでした.ただ,このような計画が皆様や私をを含め て,日本という幾多の可能性のある地盤においてこれだけの成果を収めたこと は,一に皆様の熱心な努力によるものであることは深く胸に刻んでおります. まことに理解と信頼と尊敬こそすべてのものを結ぶものであると存じます. おわりに臨み,海のかなたより遥かに皆様のご多幸を祈るとともに,再会の 日の一日も早く来るようにと願うものであります. 1949年,7月 John C. Pelzel この調査に関しては西平重喜氏をはじめ当時の関係者がいろいろな場所で書いている.この調査のサンプリングを担当したのが,編集出版委員に名前のある,若き林知己夫氏である.国立国語研究所の柴田武氏にはこの調査を実施した翌年の1949年に息子が誕生し,リテラシー・サーベイに因んで「里程」と命名したそうである.以前から「不思議な名前だなあ」と思っていたが,柴田里程(2001)『データリテラシー』(共立出版)の前文を読んで由来を知った. 一方,林知己夫(2001)『データの科学』(朝倉書店)も出版された.これは朝倉書店のシリーズ企画「データの科学」の一冊である.柴田氏の本も共立出版のシリーズ企画「データ・サイエンス」の1冊である.「日本人の読み書き能力調査」から半世紀をへて,21世紀最初の2001年に,ほぼ同時に(5月と6月)に,同じシリーズ名「データ科学」で林氏と柴田氏が出版したのも因縁である.ところが,シリーズ名は同じなのに,そのコンセプトは異なっている.シリーズの執筆者をみる限り,必ずしも世代の違いでもないが,両者ともその主張を譲らない. このような背景で,今度の行動計量学会では,林知己夫氏が 「行動計量学とデータの科学」 という基調講演をする.企画者は二部構成をして第二部では「フロアからの質問もどしどし」というが・・・. |