今夕は 杉本達夫先生 の「退職記念パーティー」であった。すこし遅刻してしまったが出席させていただいた。 杉本先生の退職により,私が学生時代に親しく接した先生は,とうとう誰もいなくなった。7年前に退職された 蘆田孝昭先生, その席で進行役をされていて,その数年後逝去された 松浦友久先生。この3人の先生がたである。

私も早稲田文学部の非常勤講師を今年でやめたので,杉本先生と一緒である。7年前に非常勤講師を始めるときには蘆田先生の退職記念パーティーに出席した。会社員と大学教師という二足の草鞋を履いた私の40歳時代の最初と最後に奇遇を置かせていただいた。

杉本先生が退職されるのは,昨年の秋ころ,偶然にも「太公望」でばったりお会いした時に聞いていた。同学社の編集者A氏とご一緒であった。私も知人のS先生と一緒だったのだが,話が弾んで神楽坂で4人で二次会までやることになり,杉本先生には多い酒量にお付き合いさせてしまって申し訳ありませんでした。

いろいろ昔話をしているうちに,1957年生まれの私,編集者のA氏が1947年生まれ(団塊世代である),杉本先生が1937年生まれということで,ちょうど10年刻みではないか,という事実を発見した。ついでに蘆田先生はというと1928年生まれなので,惜しい(!)1年違いであった。

1970年代後半に学生であった私が早稲田にいたころ,杉本先生はまだ40歳をこえて早稲田で本格的に研究を始めた頃であったことになる。若き日の杉本先生は,若き日の毛沢東と同じ風貌であった。じつによく似ていた。私自身はとにかく竹内好の弟子にあたる先生という認識であった。竹内好や武田泰淳の話を聞けるのではないかという期待があったのである。実際には恥ずかしくて,そんなミーハーなことは聞けなかったが。中文の夏合宿というのが毎年あるそうだが,おそらくこの第一回の企画者は私たちで,杉本先生と信州に行って,老舎を読んだのである。

パーティーでは,それでも数人の知人に会えた。学生時代に孤立派であった私にしては意外であった。住職のM氏は予想していたが,同級生のT波君が来ておられて,千葉で大学教師になっていた。関西の大学に勤務の先輩S戸氏から「いっしょに中国に行った」と指摘され,いろいろ思い出した。この中国訪問(1978年頃かな)は杉本団長であった。当時助手であったH氏には,卒論を大学の研究室に預けてとりに行かないまま卒業して10年くらいほったらかしておいたのに,いつか,もう「最後の最後」という段階で郵送していただいた。お手数かけました。私の卒論が手元にあるのはH氏のおかげです。

3人の先生のほかには,すでに退職されている先生がおふたり出席されていた。30年前に18歳の私が最初に中国語をならった長谷川先生。私の発音は長谷川先生の発音である。しかし私のことは完全忘却されているはずなのでお話しなかった。もうお一人は,東大から非常勤で早稲田にきておられた和泉先生。とくに和泉先生はあい変わらずのお元気で驚いた。学生たちで大挙してご自宅におしかけ,一泊してしまったことを覚えている。人付き合いがお好きなのであろう。人を寄せ付ける雰囲気がある。ここでも「今度また一杯やろう。みんな集めろ」と住職のM氏に指令が出た。

T波君から「変わったよねえ。もっと痩せていたし,キツイ感じだったよな」と言われた。これだから同級生ってイヤだよなあ。昔のことを言うし。H氏からも「眼鏡してないしねえ(印象かわった)」ということで,I am not what I was. ということのようである。学生時代は58Kg程度だったと思う。「寄らば斬るぞ」という雰囲気であったかも知れない。今は70Kg以上だろう(身長は176cm)。運動不足なだけである。老眼になってコンタクトにした。性格は変わらないが,学生当時は暗い暗い毎日であった。いまは,ただのおっさん,ということか(?)。しかし若く見えるので,ある意味で私は「変わらないねえ」という印象のはずである。もし変わっている印象があるとすれば,明朗で社交的で軽薄な振る舞いと人生を楽しむ態度を身に付けているという存在形態の変化である。25歳のときに少し人生観が変わったかも知れない。堕落したと表現してもいい。

パーティーで突然の指名・挨拶。母校で非常勤講師といえども,中文とは関係なく心理学で統計学の講義。産業界に出てからも中文らしいところは,ほとんどなく中文の仲間とも疎遠で,ただ1人,記者時代にTBSのK脇(中文卒)といっしょに番記者をやったくらいだ。それでも彼女は天安門事件の時にはジャーナリストらしい仕事もしていた。私には何も述べるべきことはないけれど,中文の皆様への近況報告と杉本先生への感謝。早稲田を再び去るにあたり,ありがたい機会を与えていただきました。

杉本先生の近著のあとがきを見ると,2005年秋とある。あの日,「太公望」で編集者と飲んでおられた。あとがきも書き終え,最後の原稿を渡した日。私はそこで偶然にも会ったのである。これも縁だということにしたい。杉本先生のあとがき。パーティーでの最後の挨拶の言葉でもあった:

・・・  早稲田に拾われたことが幸いであった。職場に恵まれ,同僚に恵まれ,学生に恵まれた。まことにありがたいことであった。

 「恵まれた」という学生の一人に,私も入れてもらえているでしょうか,杉本先生。

世間では今日はお彼岸。第一回WBCで王ジャパンが世界一を決めた日。そしてサクラ開花宣言の日。年度の終わる卒業式シーズンと新年度に期待膨らませる新人たち。強風や小雨の入れ替わる春の一夜であった。

今度こそ,さようなら,戸山キャンパス。