最近,世論調査に関する2つの論文を手にした.上田と吉野である. 上田尚一『講座〈情報をよむ統計学〉』(朝倉書店)が刊行されていたが,私には珍しく,このシリーズに興味がわかなかった.しかし,その第5巻『統計の誤用・活用』を手にして興味を持った.あとがきの「なぜ誤用が多いのか」の議論は,ほぼその通りであると賛成である. 本書は世論調査にも言及しており,特に付録として「世論調査の情報」を設けている.世論調査の関係者としては,やはり興味の対象として読んでしまう.ここで上田は松本正生『世論調査のゆくえ』(中央公論社)を下敷きに議論を展開しているが,松本は調査ではなくて政治学の人だと思われる.政治研究にマスコミ世論調査を利用するという方法を適用して政治を研究し,調査法そのものの研究者ではない.私は政治を学問の対象として考えたことはないが,政治記者として現実政治の取材をして,世論調査を専門にするようになった者である. そのため,上田の「付録」については,細部まで気になる.いくつか指摘しておきたい.
吉野諒三の“科学的「世論」調査法の価値−歴史と理論と実践の三位一体−”「市場調査」,259.有名な「日本人の読み書き能力調査」に関して,あまり知られていない側面(占領軍の本当の目的)が書いてあった. 冒頭で「今のほとんどの電話調査は戦後の調査の確立期に定義された「世論調査」ではないといっているのである」と述べている.第一に「吉野らしくないな」と思い,第二に「定義の変更を要請しているのかな」という印象を持った. 印象の第一については,論文の最後で「これは先人たちの歴史を尊重した,統計数理研究所の「役割演技」と考えて受け入れていただきたい」と白状しているが,そんなに“ねじれず”に「俺は林知己夫の思想的息子だ」というくらいの態度で,堂々と理想と現実を分析して欲しい. 印象の第二については,「静的」標本抽出理論の代わりの再定義ということを考えているようであるが,米国などの世論調査はどう配置されるのであろうか.日本の電話世論調査を「世論調査」であると再定義するとしても,やはり操作主義による定義になると思うのであるが,少し別のことを議論しているようである. 問題の1つは,RDDにおいて「回収率」が定義できないために,精度の計算ができない−−という部分にあるように思う.他社のRDDについて具体的詳細を知らないが,日経とNHKのRDD調査については回収率の定義は可能だと思う.ここで,番号空間のカバレッジ(95%)が住民基本台帳や選挙人名簿のそれ(99%)より低いということや,世帯名簿と個人名簿の相違は問題ではない.私は,RDDの回収率の低さは,調査実施期間の短さにあると思う.面接調査のように2週間やれば70%を超えるのではないかと思う.むろん,その期間かけても「呼出音のみ」の件数がかなりあって,どこか「気持ち悪さ」が残るのであるが,これも実に安定的に「残る」のである. パターン構造を読むことで,回収層と未回収層の関係を探る,という議論は,よく分からなかった.プロファイリングに関しては理解できる.これは是非とも必要で研究すべきだと思う. 調査費用について言及したのは,よいことだと思う.内閣府の入札においても「利益なし」だと思いますが・・・.「標準」調査というものがあってもいいと思うものの,主体バイアスはある.NHKは速報競争などせずに面接調査をやればいいと思うし,読売のように電話と面接の両方をやるというのは良心的であり,研究対象にもなるであろう. いろいろと参考になった. |